
今日は何となく寒さを感じられる1日となった。駅のホームからじっくりと街並みを見つめてしまった。人々が行き交う。世界は止まらない。
「ボン・ボヤージュ」、ほぼ全シーンの輪郭がはっきりしてきた。通し稽古もできなくはない。ファンタジックな作品ではあるが、そこに役者の息吹が吹き込まれると、やはり「存在」がくっきりとする。生きている。
大谷翔平さんは、順調に勝ち進んでいる。やはり思ってしまう。すごい、とにかくすごい。
今日は何となく寒さを感じられる1日となった。駅のホームからじっくりと街並みを見つめてしまった。人々が行き交う。世界は止まらない。
「ボン・ボヤージュ」、ほぼ全シーンの輪郭がはっきりしてきた。通し稽古もできなくはない。ファンタジックな作品ではあるが、そこに役者の息吹が吹き込まれると、やはり「存在」がくっきりとする。生きている。
大谷翔平さんは、順調に勝ち進んでいる。やはり思ってしまう。すごい、とにかくすごい。
「ボン・ボヤージュ」の稽古、順調に進む。自分自身の不甲斐なさはあるが、どこまでも謙虚にいくしかない。誤魔化さないこと。己の不甲斐なさを正面から感じ取ること。真っ直ぐに生きる。
野田秀樹のことをやはり考えてしまう。彼と同時代に生きられている喜び。彼の作品を間近に感じられるこの幸せ。芝居に携わる者として胸に刻まなければならない数々のこと。そう、胸に刻まなければ。
今年の生徒たちに作品は、やはり良かった。彼女たちの踏ん張りは素敵だった。そのことをなぜか思ってしまう夜。
さあ、今日も生きていこう。と素直に思いながら1日を始める。台詞を投げて受け止めて、体を動かし動かされ、生きている。
夜空をじっと見つめる。星が瞬いている。秋を感じる。愛しい人を感じる。
これから、だ。生き抜く、とは辛いことだけれど、やはり、これからだ。今回の座組みのメンバーのことを考える。やはり素敵な方々だ。この方々と共に生きていこう。世界を作ろう。
MLBのプレーオフが盛り上がっている。大谷翔平の活躍は、凄まじい。彼と同時代に生きられていることは奇跡だろう。彼の躍動をしっかりと胸に刻んでいきたい。
世界には素晴らしい方々が大勢いる。踏ん張っている、みんな。何が起きようとも皆踏ん張っている。それが、なぜか嬉しい。
青山さんの動画に心が動く。思い切り動く。「ボン・ボヤージュ」の稽古も順調だ。生きている、それだけだ。
「ボン・ボヤージュ」の稽古に再び、入ってゆく。今日の稽古はスピード感が心地よく響いた内容になった。僕がになっている「役」も徐々に色合いが出てきた。そしてダンスシーンの質をどんどん高めていく。
何が起きようとも世界は動いてゆく。この事実をしっかりと心に刻んでいきたい。悲惨なことも起きる。喜ばしいことも。自分の外側で起きていることを自分が感じる。そしてその感じ方は自分の感じ方だ。生きている人々の数だけ感じ方がある。
昨年の野田の作品「兎、波を走る」は、そのことを厳粛に教えてくれる。厳粛な事実が常に僕たちの目の前に横たわっている。大きく大きく前へ世界は動いている。その大きな波に僕らは引き裂かれ、打ちのめされ、そして何とか立ち上がる。
今日は生徒たちの本番。午前中に学校へ赴く。心地良い陽気。日差しが美しい。講堂に入り、親御さんたちを中心とした観客に紛れながら、芝居が始まる瞬間を待つ。
この、本番を待っている時間が好きである。多くの方々のささやかな未来に対する期待がささやかな塊となって空間を覆う。その無垢の美しさ。
本番後にOGたちと共に感想を述べ合う。この時間帯も好きだ。細胞がこの時間帯を喜ぶ。批評の真髄は誉めることである、とは小林秀雄の言。確かにそうだと思う。評する言葉に前向きさが横たわっていなければ何のための感想か、とつくづく思う。
小林秀雄「本居宣長」の中盤を読む。この書のおかげで僕は国学の流れを把握することができた。源氏物語から古事記への流れ。そしてその一貫性。その流れを垣間見られただけでも一生の宝物だと感じている。
明日のことを少し考える。生徒たちの踏ん張りを期待したい。で、さらに自分の稽古もする。悩んだおかげで「ボン・ボヤージュ」の世界を素直に泳ぎ回れるようになってきている。台詞を兎にも角にも体にぶち込む。
野田の台詞をいつも通り口ずさむ。「小指の思い出」の長台詞。あの調べに潜む世界観。おそらく誰にも真似できないニュアンス。天才のなせる技。