
朝、走りながらこの地域の面白さを味合わねばと、思う。縁がありそうでなかったこの地域。まずは調べるか。
午後、阿佐ヶ谷へ。「川洲のキラー」という作品。非常に質の高い素敵な芝居だった。友人たちの魂も躍動していた。いやはややはり芝居は良い。
夜は殺陣の稽古。ボイトレで股関節の感触を掴んでから、何か良い方向が生まれている。体が軽くなっている。間違いない、という感触。これですね、という感じ。仲間たちと少しだけ食事しながら、四方山話。生きていこうと思う。死ぬまで生きること。
朝、走りながらこの地域の面白さを味合わねばと、思う。縁がありそうでなかったこの地域。まずは調べるか。
午後、阿佐ヶ谷へ。「川洲のキラー」という作品。非常に質の高い素敵な芝居だった。友人たちの魂も躍動していた。いやはややはり芝居は良い。
夜は殺陣の稽古。ボイトレで股関節の感触を掴んでから、何か良い方向が生まれている。体が軽くなっている。間違いない、という感触。これですね、という感じ。仲間たちと少しだけ食事しながら、四方山話。生きていこうと思う。死ぬまで生きること。
弥生に突入。今日も今日とてしっかりと生きる。大きな力を信じ、その力を感じ、目の前のことごとと丁寧に会話をする。言葉と行動で共に生きる。ぼくの場合はその時に言葉の響きを大事にする。これがぼくにできることであり、すべきこと。
古事記、イザナギとイザナミが産んだ島々の名前を頭に刻み込む。だいぶ良い感じで記憶できてきている。島々の存在、その確かさ。出雲に旅行した時のことを思い出す。御崎神社での、あの岬で見た壮大な風景。
夜は自宅稽古場にて、やるべきことをこなす。ひとつひとつ、進むしかないなぁ。
早朝地震があった。震源は千葉県東方沖らしい。その辺りを震源とした地震が続いている模様。いつ関東地方に地震が起きてもおかしくない状況なのだろう。来月から色々準備を始めようと思う。
昨日、ボイトレのレッスンでつかみかけていたことの効果が続いている。体が軽い。非常に良いことだ。継続できるか。
天皇の諡を覚え始めてから、何かがうまく動き始めている。また覚えたいことをまるっと記憶する地震がモクモクと湧いてきている。いろんなことがあるにせよ、とにかく歴史を振り返らないこと。歴史と一緒に歩むこと。同じ方向を向いて感じること。
「佳日」という言葉がある。この語の生成過程は知らぬが、とにかく今日は佳日だった。不思議なほど、ささやかなんだけれども微笑まざるを得ない事象が続いた。こんな日もあるんだなあと思う。
ボイトレで、今まで全く感じられなかったことが感じられるようになってきたこと。10年以上会っていなかった知り合いとすれ違ったこと。大切な友人からのメッセージ。そして、天皇の諡と古事記。
そして、最後に、青山繁晴さんの動画で、感想文を取り上げていただいたこと。しかも二度目。人にはいちいち言わないけれども、とても嬉しいことである。こんな日も、ある。
風が強い。笑っちゃうほどの強風。色々なモノが舞っている。ダンスダンスダンス。村上春樹が「ダンスダンスダンス」に込めた祈りは、ぼくのどこかを支えている。
今日はなぜか20代後半の凄まじく大変だった日々を思う出した。あの4年半の苦しみ。そして急激な復活。その辛い期間を支えてくれた人々。ある意味、ぼくの原点でもある、あの時期。
人生を一度終えて、新しく始めたんだなあとつくづく思う。リインカネーションに対する不審は全くない。というか当たり前すぎて、議論のテーマになるほうがおかしい。ベルクソンを読むと、そういうこともしっくりとくる。
相変わらず、古事記の神様の名前を頭に刻み続けている。街を歩きながらブツブツと神様の名前を口づさんでいる。そうすると何だかふんわりと暖かい気持ちになってくるのが不思議だ。
アマテラスとスサノオとの喧嘩や大国主醜態やヤマトタケルの旅路を読んでいると、何でこの古事記のままで、例えば小学校で教えないのだろうと不思議になる。というか勝手に先生方が教えればいいのに、と思う。でもこうやってぼくが思うということはすでにやっている先生もいるかもしれないな。
野田秀樹を考える。佐野元春を考える。そして小林秀雄を考える。これだけで一生では足りない。
古事記の神様の名前を覚え始めて、一週間以上が過ぎたが、なかなか飽きない。どんどん面白くなってきている。体の奥にこの記憶を刻んでいこうと思う。
20代後半にとある本に出会い、死ぬことから逃れることができたし、そこから回復した。そして、その事件が僕の原点でもある。
古事記に登場する神様の産まれ方を読んでいると何か意識と意志の存在自体が神様なんだとつくづく感じる。「八百万」という表現は合っているのだと強く思う。