日記 2024

03月10日(日)〜03月16日(土)

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03.16.Sat

さてさて考えなければならないことがある。ちゃんと決心しなければならない案件だ。この10数年の蓄積を踏まえて考えねばならぬ重大なこと。

また別件で、話が少しだけ進んだ。こういうのも一歩一歩だとつくづく感じる。人生は少しづつしか進まない。その中で感じること、感じなければならないこと、様々だ。

何かを丸ごと記憶してゆく心地良さ。これは一体なんだろう。というかこういう行為が面白く感じるのは年齢もあるかもしれない。

03.15.Fri

普通の小麦粉が余っていたので、サクッと生姜を擦ってジンジャークッキーを焼く。適当に作った割には上手く出来た。料理と芝居は本当に似ていると実感する。

で、今日は渋谷に出る。1ヶ月ぶりかな。たまに、こういうところに来て感覚を磨かないと何かが鈍るので、悪くない。自分が勝負すべき何かを探すのに最適。衣服に対する感性、人々の眼差しに対する感性。こういうアンテナが結果的には大事になってくる。

ブルゴーニュの村名をひたすら頭に叩き込んでいる。ある程度覚えるとやはり便利だ。より親しみが湧いてくる。名前や名称を単純に記憶すること。歴代天皇の諡を覚えたことが僕の何かを変えつつある。

03.14.Thu

朝4時に起きてしまった。くっきりと目が覚めた。ちょいと早いがまずは走る。いっさい明るくなっていない街を走る。ただそれほど寒くはないので、ストレスなく走れた。

そして、朝食を作り、その後はクッキーを焼く。オーブンレンジの癖がだんだん分かってきた。変な焦げ目をつけずに焼けるようになりたい。

今日は意外と英語を使う機会が多かった。言葉と言葉のやり取り。そこから見えてくる異国の風景それはお互いに感じることだろう。歴代天皇の諡を復唱し、大祓詞も復唱し、「村田エフェンディ滞土録」の最後を復唱する。言葉の奥から何かを汲み取ること。

03.13.Wed

午前中は日舞の稽古。しっかりと踊る。当たり前だが日本舞踊は奥深い。芝居と通ずる。というか芝居と一緒。つくづく感じる。体の動きの一挙手一投足を繊細に。

午後は、しっかりとクッキーを焼く。ミックスベリーを解凍し、米粉、バター、砂糖、卵黄を用意する。材料を混ぜ合わせ、冷蔵庫で冷やす。頃合いを見てオーブンの予熱を済ませ、焼く。

夜はボイストレーニング。今日も今日とて収穫のあるレッスン。股関節の意識を高め体の硬い箇所を把握し、ほぐす。やるべきことを、やる。今月はチェーホフにはまらなければならない。芝居の面白さよ。芝居しかない人生。

03.12.Tue

一昨日、昨日と野田秀樹の「兎、波を走る」の動画を観た。野田秀樹の存在がなかったら、僕の芝居観はおそらく違うものになっていた。芝居はやっていただろうが、この感覚で演劇を扱ってはいなかっただろう。「肉体と詩の交点」に芝居がある。この言葉に尽きる。

そして、改めて考えなければならない拉致問題。池袋という土地で生を受けて、そこで生きているものとして感じ続けなければならないことの一つに「拉致問題」がある。まだまだ知らなければならないことだらけだ。

「兎、波を走る」は野田秀樹らしさがしっかりと出ている作品だ。遊眠社時代の作品に非常に似ている。観ていると細胞がワクワクする。寺山修司の作品も唐十郎の作品もおそらくそうなのだろう。

03.11.Mon

今年も311を迎えた。ん?13年目か。この間、僕自身も色々あった。本当にいろいろあった。出会った人達、別れた人達、獲得できたこと、到達できていないこと、手をつけてないこと、中途半端に終わってしまったこと。

改めて「遠藤未希」さんのお名前を胸に刻む。僕はもちろん現場にいたわけではないが、311の様々な風景は忘れてはならない。能登半島で正月に起きた事。日本では災害は身近にある。その条件に根ざした死生観が僕らに肝だろう。

芝居をやり続けてきたこと。この意味を今一度、自分に問いかけなければならない。僕自身が体の奥で感じ続けていることを、より優しく力づよく表現しなければならない。命懸けで。

03.10.Sun

この世界に生を受けて半世紀をとっくに過ぎたわけだが、まだまだやりたいことがたくさんある。というかこれからが勝負である、とつくづく思う。歴代天皇の諡を覚えたことが、とにかく非常に大きい。大いなる効能がある。何だろう、これは。

20代後半に僕自身に起きたこと。そして50代半ばにしてたどり着いた地点。人生は面白い。いろいろあるのは当たり前。その中でもがきながら這い進んでいく。これしか無いんだろうなあ。

信じたこと、信じたいこと。a priori に認識していること。これから身につけたいこと。さまざまな欲望、さまざまな諦め、そしてまだらな希望。

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