日記 2024

12月31日(日)〜01月06日(土)

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01.06.Sat

昨晩は、ちょいと羽目を外したので、今朝はぐったりしている。やろうとしていたことを諦めて、家事に勤しむ。洗濯、掃除。そしてぼんやりと、する。

ぼんやりとしながら、花を眺める。美しい、そして愛しい。定期的の花々を贖うようになって、花の美しさに心が素直に反応するようになっている。これはこれで大収穫だと感じる。

夕方から、ひさしぶりに殺陣の稽古に参加する。約1年振りだ。相変わらず、何も出来ない。出来ない自分を認めることが大切だと改めて思う。でも僅かだが、前には進んでいる。

01.05.Fri

長年携わっている仕事に関して、今日はじっくりと考えた。そして感じた。短くない時間に渡って従事できるということは、自分の資質に合っている要素があるんだろうと。当たり前だが、しみじみそう思った。

人は天分に寄って生きている。

「行人」が急展開を迎えている。この流れになるとは予想できなかった。内容は漱石らしい。彼の誠実さが発露している。「誠」の一字が僕の心を貫く。そこに絶望と希望が交錯する。「誠実」たれ、とどこまでも思う。

01.04.Thu

流石に三日連続では何もないかと思いきや、昨晩、山手線内で殺傷事件が発生していた。しかも20代女性が男3人を刺したという。いやはやなかなかの年始じゃないか。ここまで来れば、何でもござれ、という感じだなこりゃ。

漱石「行人」が後半に入ってなかなか興味深い展開になっている。明治終わりの東京の世相が適度に描かれていて、俺の肌感覚に風を感じさせてくれる。漱石の、ある種の怒りがやんわりと滲み出ている。

昨年末にルーサイトで観た芝居を思い出す。伊藤洋三郎さんという人物、そして「オランウータン」という事務所が気になっている。

01.03.Wed

不気味な感じで始まった2024年。皇紀2684年。令和6年。三ヶ日もこれで終わり。

昨晩から続く頭痛が夕方にかけて酷くなってきた。これはおそらく何か判断を下した方が良いだろうと思う。皮膚も表面的には落ちついているが、根っこからの治癒に向かっっている感じがしない。

帰宅して、風呂に入り、体を休める。そして早めに布団に入るが案の定寝られない。耳鳴りも、一段と酷くなっている。「死」に向かいつつある実感だけがある。体が何かを訴えている。ということは目指すべき方向があるし、やるべきことがに残っているということなんだろう。

01.02.Tue

新年二日目。だからといって違う自分になっているわけではない。やるべきこと、できることをこなしてゆく。池袋にて、例年通り、一仕事が始まる。今日も今日とて素敵な1日だ。

皮膚が治ってきている。年末に踏ん張って病院に行ってきてよかったのかもしれない。気を緩ませないこと。どこまでも謙虚に、なおかつ楽しく笑顔で行くこと。少しだけ約束事を進める。

自宅稽古場に戻ると羽田空港での事故の報に接する。なんてことだ、これは。地震の翌日に空港での大きな事故。旅客機と地震被害支援のために出発しようとした自衛隊飛行機が衝突。旅客機の乗客乗員は全員無事。自衛隊隊員に死亡者が複数出る。旅客機は奇跡だ。日本人、だよ、これが。強く思う。

01.01.Mon

強引に6:00起床。自宅稽古場まで行き、初日の出を待つ。佐野元春を聴きながら東の空を眺める。じっくりと輝き始めてくる東京。生きていることに感謝する。昇る朝日の前面で黒々と影になるビル群が何かに抵抗している。11階から眺める池袋の不規則な街並みが蠢いている。2024年が動き始める。

午後はひたすら休む。じっくりとストレッチをしていたら、気持ち悪い揺れが体を包む。とうとう大きな地震が来たか、と思ったら日本海側で大き目な地震が発生していた。能登半島に津波が来そうだ。元日に地震、か。

地震の経過を気にしながら夜の時間を過ごす。日舞、バレエ、殺陣、最低限の稽古をする。

12.31.Sun

とうとう今年も大晦日。この一年は本当に色々あった一年だ。体調不良が続き、3月くらいまでは本当に死ぬんじゃないかと思う日々。なんとか日舞の発表を乗り切り、引っ越しを敢行した。やっと寝られるようになると、夏のバカ忙しい仕事をやっつけ、Coin Toss に取り組む。そしてこの芝居の大成功が新たな流れを僕に引きつけることができた。そして年末まで辿り着いた。

池袋での一仕事を終えてから、先日知り合った Copain に立ち寄る。クラフトジンを中心に提供する素敵なバー。初めての方々と色々語り合う。父親と同郷の方もいてびっくり。

そして、部屋の近くの法明寺へ赴き、除夜の鐘を叩く。42番目だった。僕にとっては縁起の悪くない数字。今年もありがとう。

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