日記 2024

03月24日(日)〜03月30日(土)

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03.30.Sat

いやはや、あったかい。春だねぇ、春。貼る、身体に魂が貼る、そんな季節。午前中は雑司ヶ谷界隈を散歩する。細川庭園をサッらっと散策。すごいね、こんなところがこんな近くにあるなんて。

そして、「名医先生」の台本の調整。なんとか今日の打ち合わせに間に合わせる。久しぶりにコンピューターを使って、大量の文字を打ち込み、台本形式のものを纏めた。非常に心地良い。こういうのを描くのが好きなんだなぁ、実感。

ただ、ひたすら耳鳴りがする。打ち合わせの帰りは、あぁこれで死ぬのかなぁと感じるほどの頭痛と倦怠感とが全身を包む。なにもできない。よく自宅まで辿り着いたもんだ。まあ、残りの人生、踏ん張りましょう。

03.29.Fri

日がな一日、池袋でのお仕事。どこでなにをしようとも全力で立ち向かうこと。これをとにかく貫徹する。その中でも体調不良。これはこれで対処しなければならない。

夜、早めに寝ようと布団に入るが、案の定、寝られる状態ではなかった。体は素直に眠りを要求しているが、頭はこんがらがっている。ま、仕方ない。潜水艦の乗務員が耐えなければならないことに比べたら大したことではない。男は防人になるべきなのだ。佐野元春の名曲「コヨーテ、海へ」に込められた祈り。「黄昏の兵士になりたい」、そう、僕はこれになれさえすれば、文句はない。

寝られないから、寝ることを諦める、そんな、ひと夜。

03.28.Thu

体調が良くない。耳鳴りが日に日に酷くなっている。困ったもんだLEDの影響は間違いない。あと日々の生活がうまくいっていない。改善せねば。

夜、必死に「名医先生」のテキストレジーを続ける。なんとか予定通りに進んだ。やってみれば、自分の頭で再構成したこの作品が非常に愛しい。ワープロソフトでレイアウトをあれやこれや探る余裕も生まれた。文字を連ねることの喜び。ニール・サイモンがチェーホフから手に入れた宝物を少しでも演劇作品に昇華できれば、と願う。

深夜、寝られなかった。耳鳴りが酷い。僕の体はどうなってしまうのだろうか。「1Q84」の青豆のように自分の体を神殿だと思って敬うこと。僕の出発点はそこから。

03.27.Wed

午前中は日舞の稽古。「傀儡師」を通して踊る。まだまだあやふやな箇所があるので、一つ一つ丁寧に稽古をする。ただ途中で意識が朦朧としてくる。体調が再び悪化しているのは間違いない。

午後は自室にて、「名医先生」のテキストレジー。明後日までには第一稿を仕上げなければならない。なんとか2/3まで片付けられた。あともう少し。

夜はボイストレーニング。横隔膜あたりに力が抜け始めている。これは大きいこと。全ては股関節の間隔を身につけ始められたことが出発点。この間隔を逃さないこと。

03.26.Tue

さてさて今日も一日を懸命に生き抜いた。なにができてなにができなかったか。なにを手に入れてなにを手放したのか。心に去来する人々。後悔、希望。生きて死んで、そして道がささやかに浮かび上がる。

20代の苦しみから得たことは、自分自身の宝物。だがそれに固執する必要もない。日本語を使って、演劇作品を作り上げ、お客さんに観てもらい、「場」を共有できたことへの感謝で、皆で明日に向かう。ただただ、これのみ。

明日からもまた忙しい。どこまで踏ん張れるか。死ぬまで勝負。自分との勝負。

03.25.Mon

夜、お通夜に参列。思わず涙が溢れてくる。ご親族やご友人、お仕事の同僚などを雰囲気から、個人のお人柄が偲ばれる。本当に気さくな方だったんだなと、なんだか一安心。合掌。

お通夜の会場は神奈川県緑区、十日市場という駅から徒歩5分の場所にあった。初めて降り立つ駅。大きな街道沿いの比較的空間の広い街並み。当たり前だけど、ここも日本であり、日本語を話す人々が歩いている。僕はそんなささやかなことでも、奇跡が起きていることのように感じた。穏やかに朗らかに人生の一瞬間を心に刻むこと。これが僕が目指していること。

「ゆふがた、空の下で、身一点に感じられれば、万事において文句はないのだ」中也のこの言葉が僕の体を貫く。

03.24.Sun

池袋にて一仕事。英語を使ってのコミュニケーション。目と目を合わせての会話。どんな国籍の方とであっても、「目」と「目」で会話することの重要性。やはり日々、痛感する。

そして自宅稽古場にてできることを淡々とこなす。源氏も小林さんも読む。小林さんが本居宣長に辿り着いた道筋。これを自分なりに追体験してみること。ささやかな望み。

体調が良くない。耳鳴りが凄まじい。どう立て直していくか。踏ん張りどころである。災害で、戦争で、事故で、苦しんでおられる方々のことを思えば、てめえの体調不良なんぞに拘っている暇はない。

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