日記 2024

04月14日(日)〜04月20日(土)

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04.20.Sat

朝、起きる。何かが嫌になっている。耳鳴りと頭痛。このタイトルで小説が書けそうだ。つらつらと英語学習のノルマをこなす。そして講師業に備える。

午後は講師業。頭を演出家に切り替える。芝居を観ているときの僕は最強である。脳の回転にキレがある。脳に浮かんだイメージを言葉に置き換える。この変換作業の質の高さが僕の人生を支えている。

そして下北沢へ。とある定食屋でご飯を食べていたら知り合いに会う。微笑ましい偶然。そして大切な芝居仲間の公演。お客さんの中に知り合いがたくさん。お世話になった方も同席。その後、その方と一献を傾ける。その後別の友人と合流。また一献。そんな土曜日。耳鳴りと頭痛。そんな一日。

04.19.Fri

晴れている。風は強し。歩く、僕は。ひたすら歩く。何かに出会うために、歩く。そんな気分。そんな金曜日。目白通りを抜けてゆく。東京60ワットの大好きな曲を口ずさむ。

下落合で芝居を観る。そして川崎に向かう。この地は何かと縁がある。頭痛は少しだけ今日は治まっている。踏ん張って生きてゆくか。川崎で、また芝居を観る。これから何をしていけば良いのか。答えは、ある。

帰宅して体を動かす。明日に備える。少しだけ考える。百人一首を覚えたところまで復唱する。「恋」という文字は結構出てくるが「愛」という文字は出てこない。日本人は「恋」する人達なんだとつくづく思う。

04.18.Thu

体調は悪くない。気力も充実している。ただ耳鳴りと頭痛が尋常ではないだけだ。この状態で、死ぬまでできうることを、なすべきことをやるだけだ。捨てるものもない。得るものもない。ただただ、朗らかに、存在する。生きる意義はそこだけにある。

百人一首、30首まで覚えられた。僕の人生で、和歌をこのいような形で記憶しているのは初めてのことだ。素直に嬉しく感じる。言葉を慈しむこと。言葉を体の奥で味わうこと。

祝詞を唱える、神様の名前を口ずさむ、そして大きな、そして小さな、そして奥深く、そしてここにある、言の葉の響きに揺蕩う。

04.17.Wed

耳鳴りは相変わらず。昨晩から今朝にかけてもよく寝られたもんだと思う。ワクチンを打ってからの不眠状態よりはいくらかはマシだが、それにしても、である。あとどれくらい生きられるか。

いつ死ぬかわからないのは、常のことだ。だが、具体的に何かそのようなことが迫っている予感はある。こういう感覚はかなり正しいのだろう。あと数年生きられるか、そんなところのはずだ。

いずれにせよ悲観は要らない。20代後半にすでに一度死んでいる。あの状態から蘇ったということは何かやるべきことがあったからだろう。そして、そのやるべきことをほぼ終えた気がする。あとはこの「場」のために命を燃やすだけだ。

04.16.Tue

いろいろなことが動き始めてきた。この一年は何かが大きく動くだろう、とは思っていたが、まさに、である。地球はここにある。僕自身もここにいる。夜空を見上げれば月が、いる。

中東の情勢。近代史を考える上でこの地域を軸に考えて把握していきたい。死ぬまでにやりたいことは死ぬほどある。

「赤坂」という土地が僕に与えてくれたいろいろなことは、とても滋養深い。こんな言葉があるかどうかわからないが、僕自身に染み込んでいる何かが、そこにはある。死ぬまで生きること。

04.15.Mon

相変わらず、耳鳴りが酷い。この症状に何を見出すかが勝負だろう。ただ、自分の人生を振り返ると体調がしんどい時ほど貴重な人間関係が築けたり、大事な仕事ができたりしてきたので、今後のことを考えると悲観する必要は全くないのかもしれない。

今日は、ささやかなことだけれども素敵なことがたくさんあった。素敵な人達との交流があり、英語とタイ語を使う機会があり、そして極めつけは、赤坂という土地にまた関われることになる、という知らせ。あの街に戻れることの喜び。

夜は、少しだけ買い出しをして、あとはゆっくりする。とにもかくにも原点に戻るということ。

04.14.Sun

良い天気。朝はまず散歩。一歩一歩進む。少しづつ、生きる。それだけで良い。でも耳鳴りが止まない。どうしたら良いのか見当がつかない。

ただ自分の気持ちが暗くなることはない。これは一体どういうことなのだろう。普通に考えたらもっと落ち込んでも良いだろうに、そうはならない。やるべきことをやる。ただそれだけだ。

夜は稽古事を淡々とこなす。ただ無理はしないようにする。自分の体に響き合う言葉を大切にする。そこから始められることをきっかけにして生きていきたい。出窓の花々に感謝。

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