日記 2024

04月21日(日)〜04月27日(土)

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04.27.Sat

昨日も寝られなかった。困ったものだ。朝、なんとか動き出す。というか寝られないので強引に動く。今日は講師業。割と大事な日。

学校に出向き、しっかりと稽古に立ち向かう。一つ一つのシーンを大事にして、こめるべき意味合いを生徒たちと確認しながら積み上げる。とあるシーンで、ふと身体に電気が走った。彼女たちが気づいたかどうかは微妙だが、すごい瞬間が立ち上がった。芝居づくりの醍醐味だ。登場人物たちが、そこにいて永遠の空気を走らせる。芝居をやっていて最高の瞬間。

夜は大切な方々との交流。決して馴れ合ってはならない方々だが生活の上では重要な仲間達。

04.26.Fri

頭痛が酷くなっている。もちろん耳鳴りも。「身体」からのメッセージも読み取れない。何かを絶対に訴えてはいるはず。それを受け取る準備もできているはず。あとは読み解くだけなのだが。

小倉百人一首、遅々としているが進んではいる。頭の奥が疼いてなんとも気持ちの悪い日々だが腐らずに進むしかない。踏ん張りどころか。

今日も英語を話す機会がそれなりにあった。それはそれで非常に嬉しい。こういう機会を大事にすること。言葉を交わす。それだけだよ、おぬしにできるのは、とささやかに自分い言い聞かせる。

04.25.Thu

晴たかな?という朝。小倉百人一首の記憶作業はなんだかペースダウンしてしまっている。一日3首と思ってやっているのだが、25首を過ぎたあたりで頭に入る感じが変わってきて、さまざまな歌の上の句と下の句がテレコになってしまっている。

でも、である。たとえ30首に満たなくても和歌を強引に記憶する行為自体が初めてなのでとにかく新鮮ではある。

日本語の「言葉」の響き方が僕の中で豊かになっていっているのがわかる。このこと自体が嬉しい。「言葉」を「身体」に乗せることをひたすら追いかけてきた人生なので、自分で自分自身に対して嬉しく感じている。

04.24.Wed

ひねもす、雨。雨音を聴きながら、どうしようもなく、時をやり過ごす。そんな一日になってしまった。踏ん張ろうとしても踏ん張りが効かない一日。

なんとか気持ちを整え散髪へと動き出す。電車に乗り、街中に出て、四月の雨に打たれる。

さっぱりとして、自宅稽古場まで行き、最低限のやるべきことをこなし、なんとか前向きな気持ちになる。夜になってしまったが洗濯をし部屋の掃除をし、明日以降の準備に入る。

04.23.Tue

所用があり芝大門へ。浜松町の駅からゆったりと歩き街を感じてみる。やはり歴史的な雰囲気がそこはかとなく漂っている。今日も精神的には明るくいられるのだが耳鳴りと頭痛がなかなかのもの。どうなることやら。

さて、どこかでこの体調不良を味方につけなければならないだろう。学ぶことがあるはずだ。これだけのことを伝えてくれているのだ。

百人一首、30首を超えたところで少し停滞し始めている。踏ん張りところ。今の僕にできることは丁寧に生きることだけ。

04.22.Mon

今日も誤魔化しの連続の日。何をやっているのかわからい日々が続く。耳鳴りと頭痛。これが何かのメッセージなのはわかる。わかるが解けない。解読不能。何をしたら良いのか迷うだけ。

異国の方々と英語で会話をする。その瞬間の幸福。素敵な時間。でも僕の本来の魂の躍動ではない。僕にできることは心の奥底の咆哮を言葉に乗せて体の細胞を震わすこと。

何かを見失ってる。それはわかっている。いや、何を見失ったかもわかっている。それに言葉を乗せたくないだけ。村上春樹の「木野」だ。ちゃんと傷を認めなければ。

04.21.Sun

自分を誤魔化して目覚めた朝。まあ、いい。生きるしかないのだ。生きて生きてそして一粒の麦になるだけ。

英語で会話をする。日本語で会話をする。心の奥で会話をする。僕にできるのは会話をすることだけ。なんとか生きて行けるか。

夜も何をしたらわからないまま、咆哮する。心の奥で咆哮する。Who am I ? Who am I ? My words are gone with my breath.

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