
ゆらゆらと起きる。今日もなんだかうまくいかない気がする。そんな日。なんとか動き出して、掃除やら何やら家事をこなす。自宅稽古場へも行き、少しだけ体を動かす。
ここから見る風景は非常に良い。この景観を自由に楽しめるのは悪くない。しっかりと生きる環境を整えること。
夜は東京駅に出向く。大学時代の仲間と会う。実際会うのは30年以上ぶりだ。だが声は変わっていない。そして話し出してみると根っこの人間性は誰一人変わっていないことに気づく。当たり前か。
ゆらゆらと起きる。今日もなんだかうまくいかない気がする。そんな日。なんとか動き出して、掃除やら何やら家事をこなす。自宅稽古場へも行き、少しだけ体を動かす。
ここから見る風景は非常に良い。この景観を自由に楽しめるのは悪くない。しっかりと生きる環境を整えること。
夜は東京駅に出向く。大学時代の仲間と会う。実際会うのは30年以上ぶりだ。だが声は変わっていない。そして話し出してみると根っこの人間性は誰一人変わっていないことに気づく。当たり前か。
母国語以外で会話をする。この面白さ。いや、会話の面白さは言語の問題ではないのかもしれない。人とやり取りをする。大きく言えば魂の交流。この大切さ。
夜、銀座にて稽古。名医先生の教育。なぜか今日は頭が働かなかった。どうしてだろう。稽古場で自分の歓声が動かなくなるなんて、自分で自分が許せない。
ほろほろと、歩く。雑司ヶ谷に戻り、夜空を見つめる。そして帰宅し筋トレ、ストレッチとやるべきことをこなす。生きること。
赤坂で今日も一仕事。ゆっくりと街を歩き、そこほこに立ちならぶビル群を眺め、百人一首を噛み締め、人の行き交う様を見遣る。
今日も生きなければ。そう、思う。残りの人生もわずかだ。そのわずかの中で、この世界に何を刻んでいくか。いや、何を思い出していくか。気付く、というか思い出していけばいい。
夜は稽古。名医先生の「色魔」。少しづつ形になっていく。銀座の街を感じる。行き交う僕たち。あなたたち。
朝、電車に乗る。赤坂見附に着く。赤坂の街に降り立つ。深呼吸をする。日枝神社の方角を見遣る。今日も命を懸けて、仕事をしている人がいる。そこほこに、いる。
ふと昨日の稽古のことを考える。側から見たらどういう風に見えるかはどうでもよくて、僕自身の中で質を保っているか否か。何かしら違和感を感じたら、その瞬間にどう対処するか。そこが勝負。自分に負けないこと。
夜はじっくりと過ごす。しっかりと夕食を摂り、本を読み、宇宙を考える。都知事選の選挙公報を読む。意味がなさそうでも読む。
赤坂の街に足を踏み入れ魂のスウィッチをそれなりに切り替え青空を見つめ国を感じつつ歩を進める。これが僕の生き方。
佐野元春の楽曲を静かに聴く。先人への尊敬、同時代への感謝、天との会話、そういったことを感じさせてくれる。
今晩も銀座にて芝居の稽古。演出という仕事の面白さ。稽古場という「場」への感謝。ここで交わされる様々なこと。これが僕にとっての最高の宝物。僕の人生。
まずは赤坂にて一仕事。この街で僕がすべきことはたくさんある。ここで感性を開いていくこと。僕の未来はそこにしかないかもしれない。街の音を聞こう。街と魂を分かち合おう。
夜、芝居の稽古。何かを伝える。何かを受け取る。誤解と理解。気付きと忘却。尊敬と侮蔑。さまざまな感情が渦巻く。
築地川がある。この川は何だか面白い。多分積み重なった時間の織りなす面白さだ。この川を越えると急に銀座になったりそうで無くなったりする。面白い。
昨晩は何とか上手く時間を使えて、気分の良い朝を迎えた。心地よい。これを続けられたなら、と切に願う。
夜は銀座にて芝居の稽古。自分の感性を十二分に働かせる。言葉を交わす。魂を揺さぶる。天に通ずる。
稽古後、夜の銀座をつらつらと歩く。異国の方も当然多い。彼らと共にこの世界で生き抜く。生き抜かねばならない。何かが僕に足りない。もっとあるはず。知っていなければならない感覚、動かし続けなければならない感覚があるはず。