
いわゆるサブスクリプションの音楽サービスを使ってはいるのだが、使い勝手が悪すぎて面白くない。そう、面白くないのだ。気軽に聴けることの代償が大きすぎる。
まあ、こう言うことも試してみないとわからないので、今は色々試しているところ。
人様が作ったものを安易に流用するのは、やはり罪深いことだ。この意識を大きくすれば、かなり重要なことに気が付く。人間個人が作り上げたものは、多くの他人の成果が染み込んでいる。と言うことは感謝しても仕切れないほどの歴史の恩恵を僕らは手にしていると言うことだ。
いわゆるサブスクリプションの音楽サービスを使ってはいるのだが、使い勝手が悪すぎて面白くない。そう、面白くないのだ。気軽に聴けることの代償が大きすぎる。
まあ、こう言うことも試してみないとわからないので、今は色々試しているところ。
人様が作ったものを安易に流用するのは、やはり罪深いことだ。この意識を大きくすれば、かなり重要なことに気が付く。人間個人が作り上げたものは、多くの他人の成果が染み込んでいる。と言うことは感謝しても仕切れないほどの歴史の恩恵を僕らは手にしていると言うことだ。
台風、台風と姦しい。確かにそうかもしれない。だが天候なぞは、僕らでどうにもできないのだから、そのまま受け止めるしかない。天変地異はいつ何時起きるやもしれぬ。そんなものは神のみぞ知る、である。
ならば真っ直ぐに生きる。それしかない。
結局、都心においては台風被害は大したことなかった。これもいちいち言うべきことではない。大切なことはコロナ禍で散々学んだはずだ。ここから考えること。人を愛し、芝居を愛し、世界を愛す。
敗戦の日。このことをなぜか今年は強く思う。我々は負けた。確実に負けたのだ。大きく言えばこのことに対して落とし前をつけなければならないのだろう。となぜか感じた。
そして村上春樹の「木野」を思い出す。この作品は何か奥深いものが詰まっている。個人の責任、大きく考えれば人間の責任。こう言う一言では表現できない何かがこの作品の奥底に横たわっている。
夏ではあるが秋の気配がもうすでに夜のしじまに入り込んでいる
今日も赤坂で一仕事。異国の方々と会話をし、言語を唯一の武器として、大袈裟に言えば切った張ったを繰り返す。これが僕の生きる道。
身近なことから政治なり人生なりを考えること。そして狭く言うと日本文学を体の一部にしっかりと溶け込ませること。これが世界へ向けて示すべき指針の基本となる。聞くこと。ひたすら聞くこと。
暑い日をしっかりとやり過ごす。やり過ごしながら言葉を考える。感じる。
東京都区内はいわゆるお盆モードか。何となくそんな雰囲気がある。じっくりと物事を考えるにはちょうど良い。大袈裟だが日本を考え、世界を考え、そして宇宙を考える。
赤坂での一仕事を終え、来週末の講師業の準備をし、体を整え、そして家事をする。これだけで一大事業。ここから、こういう些細なことから世界を考えること。
9月の自民党総裁選。日本の運命がかかっている。
朝、京王線に乗る。目指す駅は平山城址公園駅。きを抜いていたら通り過ぎてしまっていた。一つ先の駅で降りて折り返す。ただこう言うことがあった時は物事が大抵うまくいく。
生のステージを作るのが本当に好きなんだと自分で実感する。お客さんを迎えるために最大限の努力をする。そのための心配り。そして、何かに対するロイヤリティ。これが大切だ。
悔いのない人生は当たり前だが、常に努力を続けること。これが僕の生きる道。
昨日の余韻に浸りながら今日を過ごす。そして明日の準備のための買い物をする。大切な友人のライヴパフォーマンスの手伝い。どこまでサポートできるかが勝負。
生のステージを作るのが本当に好きなんだと自分で実感する。お客さんを迎えるために最大限の努力をする。そのための心配り。そして、何かに対するロイヤリティ。これが大切だ。
悔いのない人生は当たり前だが、常に努力を続けること。これが僕の生きる道。