
さあ、初日。小屋入りし、役者のアップを終え、本番の準備に入る。受付を手伝ってくれる方々と挨拶をし、前節の方のリハも終え、あとはお客さんんを待つばかり。
そして本番。最初から心温かい反応。豊かな笑い声。「晩秋」という作品への最大級の反応。これはこれは思った以上に素敵な作品になったと感慨につい耽ってしまう。
本番が終わり、お客さんを送り出し、少しだけダメ出しをして、劇場での初日を終える。今日のお客さんの反応は本当に素敵だったと心の底から思った。
さあ、初日。小屋入りし、役者のアップを終え、本番の準備に入る。受付を手伝ってくれる方々と挨拶をし、前節の方のリハも終え、あとはお客さんんを待つばかり。
そして本番。最初から心温かい反応。豊かな笑い声。「晩秋」という作品への最大級の反応。これはこれは思った以上に素敵な作品になったと感慨につい耽ってしまう。
本番が終わり、お客さんを送り出し、少しだけダメ出しをして、劇場での初日を終える。今日のお客さんの反応は本当に素敵だったと心の底から思った。
台風の心配がまだまだあるが、今日中に降り切ってくれればと思うばかり。午前中から場当たり。照明と音響、そして舞台転換を作品の進行に従って決めてゆく。色合い、音量、転換の雰囲気、決して妥協することなく緻密に作り上げてゆく。
最後のシーンまでの場当たりを終え、休憩をとり、ゲネプロに臨む。とにかく順調にはきている。
そしてゲネプロ。多少のミスはあったもののそれなりの作品に出来上がった。演出の思惑も十二分に表現されている。これならばそれほど恥ずかしい作品にはならないだろうと思う。
少し天気が悪いか。午前10時前に新宿三丁目にある小劇場「雑遊」へ向かう。スタッフと合流し、仕込みを始める。舞台班の時間になったらまずはパンチードを敷き始める。色々工夫をし、無駄にパンチを切らないで済むようにし、舞台全面を黒で覆う。
照明チームも順調に仕込みが進んでいる。音響さんは最低限、自分の仕込みと並行して舞台作りに協力してくれている。よく考えたら舞台チームはお手伝いさんがゼロ。舞台監督と演出と音響で舞台を作る。三人ともベテランなので自然とそういうことになる。
チェーホフのお墓が見事に設置され、花壇も飾られ、ある程度の照明と音響の準備も整う。そして緻密な明かり作りが始まる。徐々に演劇空間が密になってゆく。
さて「ちえほふなひとびと」の最終稽古。最善とはいかないが、しっかりと通しを行い、そしてダメを出す。帰宅中の銀座線の車両中でもの思いに耽る。
今回も色々大変なことはあったが、何とかここまで辿り着いた。自分の体調も大きく崩れなかったし、芝居に対する感覚は鈍っていないし、良しとせねばなるまい。
帰宅して少しだけ本を読む。1Q84。何度でも読んでしまう小説。天吾と青豆がやっとお互いの存在を求め始める箇所。さて明日から小屋入りだ。
芝居本番前の最後の休み。とは言っても赤坂で一仕事し、日々の雑務をこなし、そして今更ながら、チェーホフの「タバコの害について」気になったので読もうと思ったが手元になかったのでネットを漁る。でも適当なサイトが見つからず青空文庫にもなかったので諦める。
インターネットは意外に不便である。というか情報が正確でない上に質の高い情報やサイトが極端に少ないので、結果無駄な時間となることが多い。情報も手足を使って集めなければならない、ということは普遍なのだろう。
まあ、一番やりたいことが、太古の昔から変わらない形式なので、結局は汗水垂らして積み上げる性質の行動がしっくりくる。それだけが頼り。
今日もしっかりと暑い。そしてしっかりと稽古。通し稽古。いよいよ大詰めである。今回、使用する音楽を1アーティストの曲だけにしている。知り合いでもあるTSUMUZIさん。5拍子を敢えて使って作曲する。バイオリニストでもある。
チェーホフは独特な作家だとは思うが妙に普遍性がある。TSUMUZIさんの楽曲もそうだ。笑っちゃうほど独特なのに普遍性が流れている。
自分自身に忠実であればあるほど、そこには普遍性が流れ始める。不思議だけど人間はそういうふうにできている。
まずは赤坂で一仕事。そして夜は「ちえほふなひとびと」の通し稽古。とある場面の演出を変える。よりよくするために。より面白くするために。
芝居自体は面白くなってきている。お客さまに楽しんでいただけるよう、少しでもアイディアを重ねてゆく。
そして通し稽古。今ひとつ調子は出なかったが、作品全体を流れとして掴むにはよい通し稽古だった。