
赤坂で一仕事。今日はフランスの方とちょいと会話する。異国の方とのコミュニケーションは本当にワクワクする。お互いの協力関係が非常に面白い。
そして教えている学生たちの本番が近い。出来は良いかと思う。演出の子は才能あるし俳優陣も揃っている。スタッフワークは相変わらず質が良い。なので必ずうまくいくと思う。そしてそうなるように願う。
佐野元春「The Barn」をじっくり聴く。良いアルバムだぁ。90年代後半に連れていかれる。あの頃の苦しみ、あの頃の焦り、あの頃の喜び。いろんなものが押し寄せてくる。
赤坂で一仕事。今日はフランスの方とちょいと会話する。異国の方とのコミュニケーションは本当にワクワクする。お互いの協力関係が非常に面白い。
そして教えている学生たちの本番が近い。出来は良いかと思う。演出の子は才能あるし俳優陣も揃っている。スタッフワークは相変わらず質が良い。なので必ずうまくいくと思う。そしてそうなるように願う。
佐野元春「The Barn」をじっくり聴く。良いアルバムだぁ。90年代後半に連れていかれる。あの頃の苦しみ、あの頃の焦り、あの頃の喜び。いろんなものが押し寄せてくる。
ボン・ボヤージュの稽古。今日の稽古場は上野毛。久しぶりの駅。ダンスチームに参加していた時によく来た駅。懐かしい。
踊りのシーンから始まり、作れるシーンをどんどんと作ってゆく。また今回の特徴的な演出となる場面も作る。これは面白い、と思う。
帰宅途中、野田秀樹のことを考える。彼のやってきたこと、そしてまだ進化していること。そして理解されていないこと。誰も彼に追いつけていない。そのことを再認識する。
午前中は、とにかく台詞を入れることに集中する。記憶力の低下だけは避けていきたいので、今後無理をしてでも覚えるべきことを自ら作り続けて、片っ端から脳内に刻みつけたい。
午後は講師業。本番前の最後の通し。教室でも通し稽古だったが、それなりの成果は感じられた。やれることはやった感はあるがまだ進化するはず。「最後まで足掻け」と強く伝える。
夜はボン・ボヤージュの稽古。シーン作りが続く。まだ波に乗るまでは行っていないが、稽古場の雰囲気は悪くない。みんな素敵だ。迷惑をかけないように踏ん張る。
まずは赤坂で一仕事。フランス人とコミュニケーションを取る。もちろん英語で、だがお互い母国語ではない言語で会話をするときの面白さ。無意識に協力し合う人間の基本的姿勢。これは万国共通だ。
夕方からはボン・ボヤージュの稽古。淡々とシーン作りを進めてゆく。舞台装置が面白いので、それを活かすミザンスを見つけてゆく。稽古をしながら段々とこの戯曲の面白さが立ち上がってゆく。芝居とは何て面白いのだろう。
小林秀雄が到達した地平に追いつきたい。認識論が表出する世界観の有用性を自分なりに体の奥に刻みたい。認識を刻むこと。俺のやるべき仕事。
朝から四ツ谷へ。芝居作りの現場へ飛び込む。相手が中高生だろうが同年代の役者たちだろうが関係ない。俺自身全力を尽くすのみ。誠心誠意、感じたアドバイスをなるべく理解しやすいように提示する。あとは彼女たちが拾うかどうかだ。
夕方、ボン・ボヤージュの稽古場へ移動。昨日の続きを淡々と作っていく。セリフのやり取り、心地よい。踊りも良いシーンになりそうだ。ただ気を抜いたらダラダラのシーンとなってしまう。踊りができる、とは決して思わないこと。そして戯曲の中で生きること。
そして家路へ着く。夜空を見つめる。とある人のことを考える。また日本のことを考える。少しだけ大谷翔平のことも考える。
ボン・ボヤージュ稽古初日。午前中に振り付け動画が来る。共演の女優さんが担当している。場面を考え、物語のエッセンスを考え、そして役者の踊りに対するスキルも考え、しっかりと振り付けられている。
とにかく与えられた振りを頭と体に叩き込んで、稽古場へ向かう。初めて会う役者さん、気心の知れた役者さん、それぞれと挨拶をし、稽古着に着替えスイッチを入れる。この、スイッチを入れる瞬間が心地よい。
稽古が終わり家路へ着く。そして体のケアをし、明日に備える。明日は朝から夕方まで講師業だ。彼女たちも大詰めだ。どこまで助言できるか。どこまで理想を提示してあげられるか。僕自身の芸術感の勝負でもある。
明日からボン・ボヤージュの稽古が始まる。心が躍る。しっかりと準備して稽古場に向かおうと思う。今回は尺は長くはないがソロで踊るシーンもある。俺にしてはささやかなチャレンジだ。
佐野元春、「空港待合室」をじっくりと聴く。やはり素晴らしいRock'n Rollだ。こういう曲は桑田佳祐にも書けないだろう。この差はなんだろう。文学的な素養の差もあるし、芸術感のそれもある。持っているパーソナリティの違いではあるが、住んでいる場所が違う気もする。
村上春樹の『1Q84』Book2を読み進める。青豆のメンタリティを少しでもいいからあやかりたい。自分の不甲斐なさに日々呆れている。