
午前中は講師業。「声」を中心とした稽古。いざという時に出す「声」。その発せられた音をどこまで感じるか。その余韻を自分の感性に当てはめられるか。
チェンマイに行った時のことを思い出す。標高の高さだろうか、あの何とも言えない心地よい風。あの空間に吹いていた「風」は僕の魂をその奥底から癒してくれた。慰撫してくれた。
佐野元春の「君を連れてゆく」を聴く。愛をやり直し、仕事もやり直し、君を連れてゆきたい、ついて来てくれるね、お願いさ。
午前中は講師業。「声」を中心とした稽古。いざという時に出す「声」。その発せられた音をどこまで感じるか。その余韻を自分の感性に当てはめられるか。
チェンマイに行った時のことを思い出す。標高の高さだろうか、あの何とも言えない心地よい風。あの空間に吹いていた「風」は僕の魂をその奥底から癒してくれた。慰撫してくれた。
佐野元春の「君を連れてゆく」を聴く。愛をやり直し、仕事もやり直し、君を連れてゆきたい、ついて来てくれるね、お願いさ。
陽光が美しい。この美しさのもとでは何事も霞んでしまう。この陳腐な表現しかできない。いつぞや出雲大社の先にある日御碕神社で受けた陽の光は言葉に出来ないほど美しかった。
日々、動いてゆく。宇宙が、世界が、自分が、止まることはない。日本という国の力強さを再認識したい。体を鍛えるとはいざという時のための備えなのだ。日本という国のためにいざという時のために体は鍛えておかなければならない。
佐野元春の「Down Town Boy」を聴く。全てをスタートラインに戻してギアを入れ直している君。
今日は朝から講師業。先週と同じく3コマ。何とか頑張ってこなしてゆく。そして帰宅してから、部屋の掃除と週末の忘年会の準備。
ただ疲れが少し溜まっていたので、夕方からはゆっくりとする。落ち着いて色々考えながらストレッチだけは丁寧にやり、あとはゆったりと本を読む。
ここまできたもんだと改めて考える。そして残りの人生、やるべきことをやってゆく。
体を動かし、台詞を口にし、魂を震わせ、この世界でもがいてゆく。これが僕の人生。まあ、よいではないか。
「海辺のカフカ」で描かれた世界観、例えばこの世界を自分の身体の奥で今一度クリアに描いてみたい。感覚の奥で描き切ってみたい。そしてそこに立つ。
とある人に会いたくて会いたくて仕方ない。何とか段取りをつけて会えないものかと切実に考える。
今日は大切な友人の相談に乗る。夕方カフェで待ち合わせて、そしてトルコ料理屋で話をする。お互いを尊敬し合う間柄だからこそ、話せる内容。
しっかりと自分の内側と向き合おう。それが僕にできることでもある。災害を考え、有事を考え、その中で芝居をやり続けること。
覚えたいことをしっかりと覚えてゆく。身につけたいことを身につける。ここからだ。ここから。今がスタート地点。
日常生活を送りながら、真実を感じながら、事実を尊重しながら、生きてゆく。謙虚に楽しく。村上春樹が「アンダーグラウンド」を書いた時のように常に起こるかもしれないことに耳を傾けながら。
今年の初めに歴代天皇の諡を覚えたことは今年の僕自身の成果だと想う。僕の周囲にそんなことをしている人はほぼいないだろう。
さあ、百人一首をまずは覚え直そうと想う。日本語を感じること。そこからだ。
「恋愛シネマ」の影響が思った以上に良くてびっくりしている。やっと辿り着いたんだと、素直の感じる。ここまできたんだなぁ。
12月の芝居の台本を読む。ピーターシェーファー「他人の目」。20代から気になっていた戯曲。それにやっと手をつけられる。今だからこそできる作品なのかもしれない。おしゃれで粋で風刺も効いていて上質な芝居。
起きうることを想定して生きること。想って想って想うこと。