
「白痴」読了。やっと最後まで来た。この展開になるとは想像できなかった。ナスターシャの運命に予兆は感じたけど、死者を傍に置いてのあのシーンは度肝を抜かれた。
さて、今日もいろんな方々と会話をし、その交流を僕は楽しく感じる。何事も謙虚に臨めば、何かがうまく行く。
人生、どうやって最期を迎えるか。意味のある死に方をしっかりと胸に秘めることがいかに大事かが最近わかってきた。何を為したかではないんだなぁ。
「白痴」読了。やっと最後まで来た。この展開になるとは想像できなかった。ナスターシャの運命に予兆は感じたけど、死者を傍に置いてのあのシーンは度肝を抜かれた。
さて、今日もいろんな方々と会話をし、その交流を僕は楽しく感じる。何事も謙虚に臨めば、何かがうまく行く。
人生、どうやって最期を迎えるか。意味のある死に方をしっかりと胸に秘めることがいかに大事かが最近わかってきた。何を為したかではないんだなぁ。
「白痴」を読み進む。おそらく佳境に入っている。主人公が結婚式に臨む段になってきて、その最中でのあれやこれや。垣間見えるロシアの人々の営み。吐息と我慢とロシア人らしい感情の迸り。
夜、芝居仲間とプチ新年会。気心の知れた間柄で交わされる言葉のやり取り。しなやかな感情の交流。
さらに場所を変えて、池袋の行きつけのバーに行く。美味しいカクテルと美味しいウイスキーとでさらに会話が弾む。
「白痴」を読み終えていなかったので、残りを再読し始める。読み始めると、その世界が立ち上がってくる。文学って、すごい。読み始めると世界が動き始めるのだ。それまではただの物でしかないのに。これが生きている、ということなんだろう。
日々、いろんな方々と会話をする。その楽しさ。こういうことを嬉しく感じる自分が嫌いではない。
で、最近、「夢」でいろんな人に会うことが、なぜかできている。就寝前にその人のことを強く思うとなぜか夢に登場してくれる。そして朝を心地よく迎えられる。素敵な日々。
午前中は新橋。日舞の稽古始め。しっかりと踊る。曲は「傀儡師」ここからまたスタートだ。体の芯が喜んでいる。
そして、西武池袋線に乗って練馬高野台へ。廃車の定期検診。左の奥歯がなんだか怪しい感じが年明けからしていたのだが問題ないようだ。
夜はボイトレ。ここも稽古初め。9ヶ月ぶりだったが、全く違和感なく、今までと同じようにレッスンをこなすことができた。不思議だ。こんなに久しぶりなのに。やはり長年やって来たことはそう簡単に忘れないんだなぁと実感した。
今日は赤坂で一仕事の後銀座で一仕事。さまざまな異国の方々と英語を使って言葉のやり取り。なんかこれだけで楽しい。客商売ぼ家に生まれた者の本能なのだろう。
「わたしは灰猫」を読了。おそらく4回目。涙が、自分が今まで経験していない箇所から出てくる。
久しぶりの方とかなり色々と話をする。その方の意外な側面に触れられたり、僕の今までお伝えしてこなかったことをお伝えできたり、なんだか有意義な時間が二人の間で流れた。
世界が動き始めた、という月曜日。街中を歩く人々のリズムに躍動感が静かに漂う。今この瞬間戦っている人々は確実にいる。今この瞬間生まれ出ずる命もある、今この瞬間恋に落ちている人もいるだろう。そんな世界で僕らは生きている。
晴天続きに挟み込まれたひと挿しの雨、なぜか心が落ち着く。
「わたしは灰猫」の文章が体に入り込む。独特な小説だと思う。一行一行に咲音の心の動きが刻み込まれている。彼女を突き動かしている、人間としての根源的な衝動。その本能の美しさ。その「美」を支えている葛藤。
午前中に街中に挿す陽光がまさしく冬のかがやきを蔵している。決して暑さを感じさせない光だ。穏やかささへ感じるがキリリとした威厳も、ある。
青山さんの海外出張における功績はおそらく群を抜いているだろう。原子力発電所に対する見識。僕らは何かを学ばなければならない。
「わたしは灰猫」を再読し始める。前回まで気づかなかったことに徐々に気づき始めてびっくりしている。この独特のリズムはそれ自体に思惑があったのだ。テーマに直結する文体。一行一行に込められた祈り。何だかすごい小説だ。