日記 2025

01月12日(日)〜01月18日(土)

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01.18.Sat

昨日は十分な睡眠時間をとることができたため、今日はとても快適に過ごせた。それだけで幸せである。生きていこう、と思う。

僕よりも20歳ほど若い知り合いと話をしていて、彼が鹿児島出身だったので、ふと東郷平八郎の話題を振ったらどんな人物か全くわからない様子だった。そして日露戦争と第一次世界大戦、さらに大東亜戦争とも区別が全くついていない感じだ。

僕は一瞬ビックリしたが、自分の傲慢さにも注意した。知らないことは誰にでもある。自分が知っている知識だって腹の底から知っていると言えるものがどれほどあるのか。

01.17.Fri

30年前の今日、オオナイ、が来た。オオナイとは大地震のことだ。阪神淡路大震災。1995年。俺にとっても最近の日本にとっても分岐点になった年だ。この年の3月には地下鉄サリン事件が起きているし、野茂投手が大リーグに挑戦したのも1995年。そしてWindows95の年でもある。

俺は芝居の養成所を辞めて新たな道を歩き始めた年。前代未聞の体調不慮に陥った時期でもある。

ただ、そんな中で様々なそして重要となる人物の何人かに出会っている。苦しいときこそなぜか素晴らしい出会いがある。いまだに交友関係が続く間柄の友人たち。感謝しかない。

01.16.Thu

久しぶりに表参道へ出る。面白い空気が流れている街だと思う。アホみたいに新しい何かと歴史の重さに喘いでいる吐息が混じりあっている感じ。僕はこんな空気が好きである。

役者仲間の朗読公演を聴きにマンダラへ行く。年に数回は訪うこの空間。作品は岸田國士。僕は彼の作品に精通していないが、嫌いではない。

その後、赤坂の街をぶらぶらする。友人からのメールに、ふと心が動く。皆、生きている。そして死んでゆく。で、また生まれる。その循環に身を委ねる。

01.15.Wed

日舞稽古へ向かう電車の中で、「野獣降臨」の台詞を覚えてみる。あの長台詞の前も含めてみる。顕微鏡の中の世界と宇宙、未来と太古、欲望と恨み、その隙間を縫うように迸る少年とボクサーの夢。

やはりいまだにこんな世界観を持った劇作家は現れていない。知性が肉体と現実に対してちゃんと勝負している。これが芝居だ。

日舞の稽古は良い感じ。夜のボイトレも、同じく良い感じ。僕の日常が動き出した。

01.14.Tue

野田秀樹の台詞がやはり僕にとっては土台になっている。そのことをひしひしと感じるこの数日。言葉の響き、単語の持つイメージ、そして歴史観。素晴らしいの一言。

夕刻からは下北沢に出る。駅前の広場に佇みながら空を見上げると満月がひときわ僕の心に染み渡る。妙な表現だけどそうとしか思えないほど優しい輝きだった。きっと月には独特の生命力があるのだろう。

帰宅後、リュックのファスナーを治し、浴衣の袖口を縫い、明日の準備をする。今日も佳き一日。

01.13.Mon

街中で着物姿の若い女性をちらほらと見かける。そうか、成人式か、とすぐには気がつかない自分にビックリした。和装を見慣れているとは言え、何かいつもとは違う成人の日だとは思う。

なぜか「野獣降臨」を読みたくなった。YouTubeで本多劇場での動画が見つかる。あの長台詞を何度も口づさんで見る。僕の原点だ。

傀儡師の振りを何とか最後まで思い出す。思い出し切れない箇所が2,3あるが何とか稽古としての格好はつきそうだ。満月が僕を照らしている。宇宙の中に僕らは生きている。

01.12.Sun

今日は久しぶりのバレエレッスン。しっかりと体を動かす。股関節を意識し、回転させながら動くことに集中する。動かしたいイメージを体の外側へ発散させるのではなく体の内側へ集めるように意識する。

3月の舞台監督の仕事のミーティングも行う。小さな仕事だが、しっかりとこなしていきたい。

さてさて近日中に黒澤明の「白痴」にチャレンジしてみようと思う。確か一度観ようとしたんだけだ、何らかの理由で観なかった作品。黒沢映画でおそらく唯一見ていない作品のはず。

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