
「アンナ・カレーニナ」はなぜ面白いのだろう。その理由がわかるようでいてわからない。「戦争と平和」を読んだ時は何かが引っかかって読み通すことを断念した。でも、面白いのに越したことはないから、とにかく読み進めよう。
今年9月にやる二人芝居がある。非常に楽しみで仕方がない。というか自分自身にとって非常に大切な芝居になるはず。大切に育んで行きたい。
おそらくだが、後10年くらいの間に大きな災害に自身が巻き込まれるだろう。そうなってもいいように生きるしかない。何があってもいいように。
「アンナ・カレーニナ」はなぜ面白いのだろう。その理由がわかるようでいてわからない。「戦争と平和」を読んだ時は何かが引っかかって読み通すことを断念した。でも、面白いのに越したことはないから、とにかく読み進めよう。
今年9月にやる二人芝居がある。非常に楽しみで仕方がない。というか自分自身にとって非常に大切な芝居になるはず。大切に育んで行きたい。
おそらくだが、後10年くらいの間に大きな災害に自身が巻き込まれるだろう。そうなってもいいように生きるしかない。何があってもいいように。
最近英語の勉強ができていないので、何とか少しだけやる。やはり日々学習を続けていかないとこの手のスキルは落ちてゆくなぁと実感。
今年9月にやる二人芝居がある。非常に楽しみで仕方がない。というか自分自身にとって非常に大切な芝居になるはず。大切に育んで行きたい。
a href="bet.html">「BET」は今までやってきた作品群とは異色の作品になるだろう。この意味で非常に楽しみだ。作品としてのうねりをどうやって出してゆくか、勝負ですね。
「BET」の稽古が順調に進む。一つ一つのシーンの輪郭がはっきりしてくる。稽古をしていて楽しい。
HAYABUSA JETを相変わらずガンガン聴いている。この元春クラシックスを、このような形で聴いていると何だか不思議な気持ちになってくる。
少しだけアイツの「死」を受け入れられるようになってきたか。でもまだ気持ちがワサワサしている。時間だけしか解決できないことがあるんだなぁとつくづく感じる。
午前中は日舞の稽古。しっかりと踊る。細かいダメ出しが多くなるのは当たり前だが、師匠の動きに今更ながら驚くことが多い。当たり前だが、まだまだ追いつかない。
先週の今日はアイツの顔を見に行った。あれから一週間か。時は止まらないんだなあとやはり思う。
今日は芝居の稽古は無し。自宅に戻り、色々とやるべきことをやる。部屋の掃除、日舞のおさらい、台詞の確認。それから、読書。
日本舞踊発表会のための小道具を作らねばならないのだが、どうにもこうにも進まない。遅々として、進まない。何だろうか。
今日も「BET」の稽古。稽古場へ行き、体を整え、稽古に臨む。芝居の稽古場という僕にとっては最も神聖な場所。この「場」をどこまで大事にできるかが生きる基準だ。
さあ、生きていこう。アイツのためにも生きていこう。アイツが残した何かを受け継ごう。
午前中は赤坂にて一仕事。その後「BET」の稽古場へ。まだまだ訃報ショックから立ち直れない自分がいる。わかっている、人は必ず死ぬ、ということは。でも気持ちの整理がつかないのだ。仕方ない。時の流れに任せるしかない。
稽古場への移動中に「アンナ・カレーニナ」を読み耽る。いまだに主人公は出てこない。でも面白い。この作品の面白さがどこから来るのかわからないが、妙に面白い。ドストエフスキーとは全く違う。
心地よい朝を迎える。佳き日になりそうだ。しっかりと目を覚ます。
さっぱりとした服に着替え、資料を確認し市ヶ谷へと出かける。女優の野上さんと駅で落ち合い、仕事現場へと向かう。今日はラジオドラマ脚本講座に参加された方々の作品を朗読するお仕事。簡単なリハーサルを終えて、本番の会場へ。これからご自分の作品が読み上げられるであろうという熱い期待の目が新鮮だった。
朗読の仕事を終え、夜は「BET」の稽古。今日は今日とて大切なシーン。とこのように芝居の稽古ができる幸せを噛み締める。