
追い込み稽古、三日目。今日も良い通し稽古だった。若者たちの芝居がどんどん良くなってきている。細かいニュアンスに輪郭が重なって、物語の一部に抵抗なく滲んでゆく。
野田秀樹の功績を忘れない。肌で思い出す。このことが僕にとって大切なこと。芝居をやるとは全身全霊で言葉を吐き続けること。ただこれだけなのだ。
佐野元春のことも忘れない。彼の言葉、彼のメロディ、そして彼の芸術感。心に留めること。
追い込み稽古、三日目。今日も良い通し稽古だった。若者たちの芝居がどんどん良くなってきている。細かいニュアンスに輪郭が重なって、物語の一部に抵抗なく滲んでゆく。
野田秀樹の功績を忘れない。肌で思い出す。このことが僕にとって大切なこと。芝居をやるとは全身全霊で言葉を吐き続けること。ただこれだけなのだ。
佐野元春のことも忘れない。彼の言葉、彼のメロディ、そして彼の芸術感。心に留めること。
追い込み稽古、二日目。少しだけ前に進めたように思う。新しいこともできた。この調子を崩さずに行きたい。大切に丁寧に。
残りの人生で小林秀雄の成してきたことにどこまで追いつけるか。どこまで肉薄できるか。まだまだなのでやるべきことはたくさんある。
「アンナ・カレーニナ」は相変わらず面白い。どこまで面白いのだろう、と思うくらい面白い。言葉の世界。そして歴史。
今日から稽古場を移動して最終の追い込みが始まる。まだまだ新しいことができるはず。チャレンジすることをやめないでゆく。
ただ原点に変えることを忘れないでいこうと思う。僕自身の原点とは何か。野田秀樹という存在を心の奥で大切に思うこと。芝居をする瞬間に少しだけその存在を心に留めること。
ここまで生きてきた自分を少しだけ褒めてみること。真っ直ぐに生きてきた。そしてこれからも真っ直ぐに生きていく。ただそれだけだ。
午前中は日舞の稽古。芝居前の最後の稽古なので、とにかくスムーズに通して踊ることを心掛ける。智盛の六尺棒の扱いに納得はいっていないが、まぁ良しとする。
とある友人のことを考える。今頃はどうしているのであろうか。もう何十年も連絡を取り合っていないが、元気だろうか。ありふれた感慨だがそう思う。
アンナ・カレーニナを読み進む。抜群に素敵な小説だ。なぜ面白いのか理由が見つかっていない。僕に取っては新鮮だ。
今日も「BET」の稽古。稽古場へ行き、体を整え、稽古に臨む。「言葉」を自分の体の奥から紡いでゆく。
まだまだ友人の「死」から抜けられない。それはそれで仕方ないだろう。命の営みのひとかけらなのだ。でもひとかけらだからこそ大事だとも言える。弱る必要はない。
「BET」の集中稽古、順調に進む。今日は通し稽古の写真を撮っていただいた。カメラマンの松林満美さんにはいつもお世話になっている。
今回の座組みの面白さに思いを馳せてみる。年齢層の幅の広さが良い方向に働いているのか、みぃうな一体感がある。作品のおかげかもしれない。
帰り道、つらつらと自分の力不足をひしひしと感じる。精一杯やってきたが、何かが足りないのだ。それはなんだ?答えは出ない。出ないがこう質問できる自分が嫌いではない。
朝、起床してふと考える。この約2年間のこと。あえてお金を掛けて守ったもの、そして失ったもの。それぞれあるが、後悔はしていない。ここから前へ進むしかない。
今日も「BET」の稽古は進む。何だかんだ言って順調に進んでいる感じがする。多くのお客さんに観てもらいたい。芝居は観てもらわねば始まらない。
小林秀雄を読む。「本居宣長」。この本はやはり小林さんのライフワークなのだろう。慈愛に溢れている箇所がそこほこにある。