
「他人の目」のテキストレジーを進めながら、解題するとしたら、何が良いかを漠然とふんわりと考えている。この戯曲の本質はどこにあるのか、それをずっと考えている。物事の本質を自分なりの感覚だけで、探る、こういう行為は、はっきり言って楽しい。
日常、生きていて、その瞬間その瞬間に、最もやるべきことを瞬時に選択して、実際に行動する。生きるってのは、おそらくその連続だと思う。選ぶと言うことは他を捨てることに直結しかねないので、選択しなかったことごとへの配慮を忘れないようにした方が良いのだろう。
小林秀雄が到達した地平にはどんな風景が広がっているのだろう。おそらくそこでは「言葉」が明確な輪郭を表しては、儚げにゆっくりとその姿を隠し、そしてまた違ういろあいで持って踊り出す、そんな風景かもしれない。