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日々是好日このページでは、酒井が日々感じていることをコラム風に書き綴っていきたいと思っています。 #15・山の音なぜか訃報が続いている。 季節柄なのか、自分の年齢がその種の報せに接しやすい域に達したためか。その割には亡くなった方々の年齢がマチマチなのだが。 今読んでいる川端康成の「山の音」には、敗戦後割と直ぐの鎌倉と東京の風情が描かれている。主人公、信吾は、職場が東京で自宅が鎌倉だ。彼は電車で仕事へ通っている。車内には普通にアメリカ兵がいる。占領時だから当然か。初老のアメリカ人の傍らに少年の様な日本人が寄り添っている。男娼のようだ。この様な描写がさりげなく挟み込まれる。信吾の息子は兵役帰りで理不尽な「死」に接し過ぎた故の頽廃感を纏っている。信吾は息子を通じて感じられる、敗戦後の日本が抱えた虚無感の処置に心の奥底で右往左往する。嫁「菊子」に対する愛情と共に。 「山の音」文庫版の帯に「戦後日本文学の最高峰〜」と謳われているが「戦後」の意味はようやくわかってきた。「最高峰」かどうかは僕にとってはどうでもいい。ただ敗戦後日本が強いられた、或いは自らススんで抱えた矛盾が、今だに続いていることは肌でヒリヒリと感じている。 権力側が非権力側に何かを与え、強いるのはその職務上当然のことだ。個々人は、その理不尽に強制された事態を、自分の頭で受け止め考えて行動するしかない。民主主義のささやかな権利のひとつだろう。戦争しかり、コロナやワクチンしかり、増税しかり。その状況下でまずはテメェで考える。手も足も出なくとも悪足掻きする。ここに芸術の意義もある。小説もそう。 「死」がある。「生」がある。そして世間には矛盾が溢れている。だが充実した「生」や「自由」はその制約の中からしか生まれない。 「この時、天に音がした。ほんとうに信吾には天から音を聞いたと思った。」 この一文に小説「山の音」の核が宿っていると僕は思った。 2023.01.28 前のコラム |