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蘇我馬子の墓 モオツァルト ドストエフスキーの生活 実朝 西行 本居宣長 | 日々是好日このページでは、酒井が日々感じていることをコラム風に書き綴っていきたいと思っています。 #10・「文化」という言葉小林秀雄のとある作品のなかで、「文化」という言葉に言及している箇所を読んだ時に妙に合点したことがある。それは、民を治める方法として武力を使うことを「武化」といい、その反対の状態が「文化」だという論旨だった。「文化」が統治する形態を意味しているとは、多分驚いても良いかとおもうが、よくよく考えれば、現代の日本人が何気なく使っている「文化」の効用に統治機能がある感じはするので、この論点はあながち間違っていないし、「文化」の反対語がすぐに浮かばないところから考えると、案外曖昧な使われ方が蔓延している単語なのかもしれない。 ロシア・ウクライナ問題が発生して以来、日本の軍事力というか防衛力というか、単純に異国に侵攻されたらどうするかという問題が喫緊の問題として発生したことは間違いないだろう。そして必然的に、国家が備えるべき「武力」のあり方を考えなければならないとうことに僕らは直面している。そして、「国」とはどうあるべきかを、戦後の復興、高度成長、バブルの崩壊、平成の不況、などを経た今だからこそ改めて己に問い直しても良い時期かとは思う。現在の憲法も含めて、どのような基準、どのような約束事で、日本の民が繋がっていったら良いのか。 その切り口のひとつとして「文化」という言葉を考えた場合、明治維新以後の、西洋文明または文化を取り入れて来たことに付随する混乱を論点にするのも悪くないだろう。 先に触れた小林さんの作品で言及されているが、「文化」の曖昧さは西洋語の翻訳から来ている。「culture」に「文化」という訳語を与えたと思われるが、ニュアンスが結構違うかもしれない。「culture」は「cultivate」から来ていて、「耕す」という語感が「culture」には含まれている。耕すことで、何かが生まれてくる。その生まれたものが「culture」だ。この単語の中には、何かしら動的な要素が埋め込まれてる。が、僕らが使っている「文化」には、その動的なニュアンスは含まれてはいない。「文化的生活」という言い回しがあるが、曖昧なことこの上ない。 明治以降の訳語の問題は大きいが、少しでも僕ら自身で心底納得できる言葉に変えていかないとならないと強く感じる。「文化」という単語はその典型だと勝手に思っている。日本文化が大事なのです、などと声高に言われても困ってしまう。例えば僕は日本舞踊を日々稽古しているが、これが「日本文化」かと言われるとそうは思えない。礼儀作法や身体の使い方、芸における美意識などには「日本」を強く感じるが、そこに「文化」を付けられると簡単に首肯できない。この感覚は何だろう。 このような問題は常に考え続けていきたい。 2022.06.06 前のコラム|次のコラム |