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蘇我馬子の墓 モオツァルト ドストエフスキーの生活 実朝 西行 本居宣長 | 日々是好日このページでは、酒井が日々感じていることをコラム風に書き綴っていきたいと思っています。 #9・近眼の原因例えば、幼少期、解せない言葉がいくつかあった。「アメリカン・ドリーム(死語?)」、「民主主義」、「社会人」の3単語は何故か変な感じがしていた。いずれの単語もそれ自体というより使われ方が気に食わなかったのだと思う。「アメリカン・ドリーム」はとにかく胡散臭かったし、「民主主義」は、なんでわざわざ強調するんだろうと思ったし、「社会人」は、なんで俺たち子供を排除するんだろうと思ったし、といった感じだ。 これらの単語に限らず、いや「単語」や「言葉」に限らず、本能的に、これはおかしいと強烈に感じることがあまりにも多かった。 そして、10歳の時に、これらの言葉も含めて本当に世の中には間違ったことが多すぎる、ふざけるな、と勝手に判断して、これからは好きなことにだけ自分の関心を向けて生きていこうと決めた。その決心した時の風景を今でもありありと覚えている。小学校の校舎、3階、図書室へと向かう廊下。そしてその廊下の窓から見下ろせた中庭の樹々の緑。鮮明に覚えている。好きなことをやって生きていこう。 ところが、その時期から急に、何故か近視になっていった。両眼共に1.0くらいだったのが、1年くらいで両眼とも0.6になった。それから年を追うごとに目が悪くなり、結局は人生の大半を0.1すらない視力で過ごしている。十数年前に、このことに急に気がついて、自分の中で合点がいった気がした。10歳から自分の外の世界の多くの部分を否定して、または疑念を持って、消極的に接するようにしてしまったのだ。その結果、視覚を使って熱心に外界を把握することをする必要性が薄れ、挙句、視力が落ちてしまったのだろう。 この経験から感じていることは、何かを極端に排除すること、また何かを極端に受け入れることは、それ相応の代償を伴うものだということだ。おそらく医学的になんか証明できないだろうし、その必要性も感じていないが、心底そう思っている。いわゆる視力低下の原因に遺伝的要素があるかもしれないが、自分のこの極端な視力低下は、自分自身の生き方に直結している。おそらく。 だから、それはそれで仕方ないと、思っている。 2022.05.31 前のコラム|次のコラム |