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蘇我馬子の墓 モオツァルト ドストエフスキーの生活 実朝 西行 本居宣長 | 日々是好日このページでは、酒井が日々感じていることをコラム風に書き綴っていきたいと思っています。 #8・「死」について20代後半、原因不明の体調不良に陥っていた。何をやっても改善しなかった。病院に行って、CTスキャン、MRI、を始め様々な検査をしたが異常は見つからない。かと言って精神科に行くには健全すぎてお話にならない。手も足も出ない状況だった。そして、ある種の絶望状態になっていた。ただ例えば「死にたい」などとはこれっぽっちも考えなかった。が、体が勝手に「死」を選んでいる感覚はあった。ふと気がつくと呼吸をしなくなる自分に気付き、さらにそれに気付いても、静観していた。そんなときは、大袈裟ではなく、「死」に近付くってこんな感じなんだろうなあと思っていた。 そして今、50代半ばを迎え、「死」がある意味身近になり、ついでにコロナワクチン後遺症にかかった上で感じることは、20代の時と同じで、「死」は近くにあるなぁという実感だ。遠くからやってくるものではなく、自分の中にもともと潜んでいて、ふとした時に顔をもたげるんだなあという感じ。別にそこに悲しみや恐怖はなく、ただただ、そうなんだなぁという気持ち。 光と影との関係と同じ感覚で、「生」と「死」の関係を感じることは、おそらく正しいだろう。当たり前すぎていちいち考える人は少ないかもしれないが、常に「死」は近くにあって、そのこと自体に善悪はなく、充実した「死」は生命力のある「生」に繋がり、力の限り生き抜いた「生」は、「死」を納得した気持ちで迎えられるかもしれない。 今般のコロナ騒動で感じることは、「死」を正面から受け止めていない、僕らのだらしない感覚が、様々な歪みをもたらしたなぁということ。これを強く感じる。 いずれにせよ、「死」は悲しいけど、それ自体は忌むべきことではない。普通に受け入れること。「死」を心の奥底に横たえた上で、「生」の道を考えること。これが健全だとは、思う。 2022.05.22 前のコラム|次のコラム |