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蘇我馬子の墓 モオツァルト ドストエフスキーの生活 実朝 西行 本居宣長 | 日々是好日このページでは、酒井が日々感じていることをコラム風に書き綴っていきたいと思っています。 #2・憲法九条「三省堂 基本六法」が自室の本棚にある。2018年版。いろいろ読んでみたくて買ったのだが、時々暇にまかせて、適当に開いた箇所を読んだりする。結構面白い。 よく話題にのぼる憲法九条。数年前だったか、日本国憲法を精読しようと思い、ついでに九条を暗記してみた。法律用語に不慣れで、例えば九条第2項「〜国の交戦権は、これを認めない」の「これを認めない」のは誰なのかが、よくわからない。日本政府?日本国民?はたまた「日本国憲法」がこれを認めない、ということか。まあ、「憲法」が認めないんだろうなあと解釈している。 とにかくこの九条を読むと、普通に考えたら外国から攻められたらどうするんだろうなあと思ってしまう。1項では武力の保持は否定していないけど、2項で軍としての戦力の保持は認めていない。ってことで「自衛隊」ということになるのだろうけど、絶対に外国に攻められないことが大前提になっているだろうか。ロシアによるウクライナ侵攻が生じた今日、この前提が崩れているのは、ほぼ確かな気がする。 この憲法で気になったのは、細かい箇所よりも全体の章立てである。第一章「天皇」、第二章「戦争の放棄」、第三章「国民の権利及び義務」と続き、第十一章「補則」が最後。私には「戦争の放棄」が2番目に章立てされていることに、解せない違和感がどうしても残る。一国のあり方や態度を決める約束事の中に「戦うことはしません」という文言が、こんな重要な位置に据えられているのはおかしくないだろうか。だから、とある国に同胞が連れていかれても日本国として取り返しには行けないのか、などと考えてしまう。日本というお国柄として「天皇」が最初に来るのは納得する。そして、どう考えてもその次は「国民」についての文言が来て然るべきだろう。第四章以降は、国会、内閣、司法、財政、地方自治、改正、最高法規、となり「補則」へとなっている。私自身の感覚としては、「地方自治」と「改正」の間に「戦争の放棄」が挟み込まれるのならば、まだわからなくもない。また「放棄」という単語もどうかと思う。単に「戦争」という章の名称でも良いのではないか。まあ九条自体をおかしく感じる自分の感覚は変わらないのだが。 原子爆弾を二発も落とされて、その落とした国の軍事力に頼っていて、さらに「戦争を放棄」することを己の則とすることは、何だがひとつの有機体としては間違っている気がする。ただ自身を省みた時、このようなことを記すことすらも、あまり正しいこととは思えない。では、どうするか。 2022.4.10 前のコラム|次のコラム |